スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

医師からの連絡

帰宅し、着替えながらメールを見ていると
私を担当してくださっている弁護士の先生から
メールが届いていた。

年末、濱田医師に宛てた手紙についての連絡だった。
今まで、こんなに早く返事がくることはなかったので
何気なく読んで、驚いた。

彼は私との面談に応じるという内容だった。
ただし、条件があり、病院との示談解決後なら、、
ということだった。

初めは信じられず、何度も何度も読み直した。


濱田医師は病院との話し合いが進んでいることは知っていたし
それでも話し合いに応じるどころか、弁護士を通して話したことも
私には話してくれるな、ということだった。
それ以上何か言ってくるなら、逆に訴えると言っていた。

その高いプライドと頑なな心を
あの手紙が動かしたんだ・・・
そう思った。

2年半頑張ってきて良かった。
あきらめなくてよかった。
素直に思えた。

旦那クン、色々心配かけたね。
色んな事があって、辛かったね。
だけど、一歩
本当に大きい一歩を踏み出せそうな気がしたよ。
旦那クンの無念を
そして、私の無念を
私たちの心の引き出しに仕舞える時がくるかもしれない。

たとえ、現実は変わらなくとも
きっと、光が見えてくるはず。
きっと、許す心が生まれてくるはず。

旦那クンのことがあって、私は諦めることを覚えた。
神様は、旦那クンだけではなく
私から色んなものを奪っていった。

私の目の前からなくなってものたちを
これまで、どれだけ諦めてきただろう。

けど、話し合いの向こうには、許す心が待っているかもしれない。
人として、少し前進できるだろうか。

これも、旦那クンの教えなのかもしれない。



ただ、弁護士先生からのメールには、
「私の手紙で、濱田医師もこちらが賠償の資料集め目的ではないと
いうことが伝わったのではないかと思います。」と書かれていた。

少しだけ、悲しかった。



スポンサーサイト

新年会(回想)

H19年度、一緒に働いた人と新年会をしました。


なかなか全員集まることは難しいけれど
そのうち4人が集まれました。

一人は異動
一人は退職し、別の職場に転職。
一人は今も同じ職場。

日ごろ話せない職場のグチがメインテーマ?!だったけど
あっと言う間に時は過ぎ、気がつけば
自分の中での終電の時間が危うくなっていました!!

本当はもう1~2本遅い電車はあるんだけれど
11:6発が最終と自分の中で決めており・・・
それでも自宅に着くのは12:25頃。

遠距離通勤って、これが哀しいのよね。
それでも、当時の仲間と楽しい時間を過ごせました。

思い出しながら書いているんだけれど
悲しいかな、時間が経ち過ぎてて、その時の熱い思いが蘇りません。。

その時は、今年も頑張ろう!と思えたことだけ
覚えています。。はい。

34回目の旦那クンの日。そして始まり

15日の金曜日。
会社で定められている最終退出時刻に仕事を終え
大阪まで電車で帰るか。。。それとも歩いていくか。。。

翌日の土曜日から、ネイル教室が始まるのですが
朝7時半には起床しなければならなかったので
出来れば早く帰って休みたい。。

でも、16日は旦那クンの日。
お花と手土産のひとつくらい持って帰りたい。。

悩んだ挙句、歩いて帰りました。
やっぱ、旦那クンが待ってくれてるもんね。
でも。。
残念ながら、お花屋さんにほしいお花は少なく
白いオリエンタルリリーは多くが花開いていて
買う気持ちになれず。。
白とパープルのグラデーションになった
トルコキキョウを買って帰りました。

手土産のお菓子は、フレイバーの菓子折りにしました。
旦那クンが好きそうなブラウニーが入ってたんだよね。
旦那クン、美味しかった??
お会計の時、お店の人は味見に置いてあるお菓子は
出してくれず、レモンティーを出してくれたんだよね(笑)
空腹だった私は、ブラウニーの方が欲しかったんだけれど(笑)


両親には、きんつばを買って帰りました。


家に着いた時、案の定10時半を回っており
帰宅した途端ぐったり。
体力ないよな-。


16日はカルジェルのファンデーションコースの初日でした。
カルジェルはソークオフジェルネイルの1種で
爪にとてもやさしくて、高品質ということをネットで知りました。

セルフジェルネイルを初めて3カ月ほどになりますが
やっぱり上手にできなかったり、爪がボロボロになったりで
限界を感じてたので、楽しみにしていました。

受講生は私を入れて4人。
若い人ばかりだと思っていたのですが
意外と安心できる感じでした。

先生はとてもきれいな人で、水川あさみにちょっと似ていました。
先生が一番若いのでは?と勝手に想像してるのですが
2歳になるお子さんがいらっしゃって、
毎日時間に追われているそうです。

人にダイレクトに喜ばれる仕事っていうのもいいな・・
なんて、ちょっぴり甘い考えがよぎりました。
このコースは全8回なのですが、それ以降のことは
まだ全然考えていません。
何事も極めるには、先立つものが必要ですし。。ね。
自分の向き不向きを考えながら、前向きに考えたいです。

それにしても、今年も目標の一つである英会話。。。
まだ何も手をつけていなかったりします。。
もう今年も1/12が終わろうとしているのに。






お医者さんのこと

震災から15年が近づいているので、新聞には震災関連の
記事が多く掲載されている。
6000人以上の死者が出た阪神大震災。
中でも愛する人を亡くした人に関する記事も多い。
死因は違っても、沸き起こる感情はあって
朝、ゆっくり新聞を読みながら、一人
目頭が熱くなることも少なくない。

ふと両親を見ても、正直なところそんな気配は薄い。
私のことを、旦那クンのことを大切に思う両親でも
そんな違いがあることは、もう仕方がないことかもしれない。

今日は、日曜日に読んだ新聞記事から。

http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/shinsai15/20100110-OYO8T00320.htm


兵庫医科大の救急医、吉永先生のお話だった。

記事の書き出しは
吉永先生と中国古筝奏者の伍芳さんとの面会から始まった。
伍芳さんが取りだした1枚の死体検案書を見ながら、吉永先生が
「長い間説明できず、申し訳ありませんでした。
 お姉さんの死体検案書を書いたのは私です。」と言った。


吉永先生は、震災の当日、大勢のけが人を治療する間に
一人の女性の遺体を検案しました。混乱の中、その女性の妹が
待っていることを知らず、治療に戻られた。

その妹が、対面が実現した伍芳さん。
死亡した女性が伍芳さんのお姉さんだった。


数年後、吉永先生は震災の特集番組で伍芳さんを見て、
あの人だ、と思ったそうです。

その後、2005年のJR福知山線脱線事故が起きました。
一人でも多くの命を救うために治療に優先順位を
つけなければならない。重篤な人を最優先し、
既に死亡していると判断されれば後回しとなった。

吉永先生はその時はうまく対応したと思ったそうです。

しかし、日本集団災害医学会の総会で、心療内科医が
「遺族で搬送されていれば助かったのではと苦しみ
 心療内科を受診する人がいる」と聞いて、
犠牲者の遺族に何も説明していないこと、
説明を聞けぬまま苦しんでいた伍芳さんが思い出され、
15年の時を経て対面が実現したそうです。

伍芳さんは
「姉はなくなるまで、どんな状態だったんですか」と尋ねたそうです。

吉永先生
「意識を失っていた可能性が高い。気絶した時点で痛みは
 感じなくなると思います。」

吉永先生はその後、災害時に遺族をケアするための研究会を
設立され訓練を積んでいるそうです。
この原点は阪神大震災であり、伍芳さんのお姉さんの検案書
なのだと語っておられます。

吉永先生の言葉を聞いて、伍芳さんはお姉さんが吉永先生に
最期をみてもらえて幸せでしたおっしゃっていました。


この記事を読んで、伍芳さんのお気持ちがすごくわかる・・
というか、自分の気持ちにとても重なる気がして
なりませんでした。

愛する者の最期を知りたいという気持ちや
それに応えてくださった先生の人間性。
どんなに受け入れられないことも、
そんな一つ一つの人の心で、救われるんだと感じました。

この記事が濱田氏の目に触れることを祈りつつ。



涙って不思議だな・・って思う。
一番初めに流した涙は、きっと不快な気持ちを訴えるために
流した、赤ちゃんの涙。
それから人は成長して、色んな感情が芽生えてきて
悔しくて流す涙だったり、辛くて流す涙だったり。。

嬉しくて流した涙はいつだったんだろう。
テレビや新聞等で、自分とは直接関係を持たない何かで
思いがこみ上げてくる涙を流すようになったのは
いつの頃だったんだろう。


嬉しさも、哀しさも、怒りも、喜びも・・・
高ぶった感情を元に戻すときに涙って必要なのかな、、って思う。

残念ながら、私生活では頑張った喜びで涙を流すことはほとんどない。

最近多いのは、新聞やネットで読む記事。
もうすぐ阪神大震災から15年を迎えるにあたって
遺された遺族の方々の今が取り上げられた記事が多い。
15年経った今、愛する人を亡くした人だけではなく
色んな喪失感を持っている人が多いと知った。

小学生の頃震災を体験し、別の地へ引越した方の話。
引越先も同じ関西だったけれど、震災の話を一生懸命伝えても
友達はふぅ~んと言って少し困った顔をして
別の話題に変えてしまった。
もう、震災の話はしてはいけないんだと思った。
また、震災で身寄りのなくなった方の話をTVで観て
自分の被害はずっと軽いと思ったそうです。

その彼女は、今、震災を通して語り合う場(HP)を立ち上げ
運営されています。

「体験を比べず、批判せず」

http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/shinsai15/20100109-OYO8T00224.htm


私も被災地に近い場所に住みながらも、
被災した人たちの気持ちをわかったいなかったと思う。
けれど、旦那クンとの遠距離を経て、こんな記事に出会うたびに
胸が熱くなり、旦那クンを思う。

震災を乗り越え、街が復興し、15年を迎えた今なお
色々な思いを抱えていらっしゃる方が大勢いるように
私もそうなんだろうな、とも思う。

でも、こうした記事を読んで胸が熱くなる心は
旦那クンがくれた心なんだと思っている。
人の気持ちが分かる人に。
旦那クンは私を少し成長させてくれてるんだと思う。


アバター

会社のリクリエーションの一環で、映画を観に行きました。
ボーリング等何種類か決められた娯楽の中から
所属で映画を観ることに。映画は観るだけなので気楽だしね。

宣伝では少々気持ち悪い?!感が否めなかったのですが
3Dだったこと、ジェームズキャメロン監督だから
それなりに面白いのでは?という安易な考えで、私は選びました。
多数決の結果、結局「アバター」
因みに、多数決ではカールおじいさんとの接戦だったらしいです(笑)

もう一度観たいとは思わなかったけど、結構集中して観ていました。
映像とスリルは抜群で、流石洋画だなぁとおもいました。
ただ、ストーリーは単純なので、結果は見えていた感じ?!
好みもあると思うので一概には言えないけれど
これは映画館で観た方が楽しめるかな、と思いました。

6時半から3時間の超大作の後、みんな集中しすぎて
映画終了後はかなりぐったり(笑)
翌日がお休みで良かった♪

終了後はそそくさと帰路につきました。


2度目の再会 ~また会う日まで~

ご主人の転勤で引越したYさんが関西に戻ってきたので
時間後に食事してきました。
年末にお会いした時は、おっとりYさんの弾丸トークに
楽しみつつも少々ビックリ♪したのですが、
2度目のこの日は、いつものYさんに戻っていました。
2週間余りのシティーライフ(笑)を満喫しきったのかな。

年末は10か月ぶりだったし、ご主人の転勤に伴う引越で環境が
がらりと変わったこともあったし。
また、ランチの1時間でしゃべることが沢山あったからなぁ(笑)


さて・・
Yさんのリクエストは和食とチーズフォンデュ以外で
家では食べないようなもの・・・ということで
2日ほど悩んだ挙句、ハービスエントにある
マーレ・クッチーナと言うお店を予約しました。
ハービスエントに入っているお店とは思えないほどリーズナブルな
カジュアルイタリアンのお店で、お店は空いていました。
お隣のお店、「米門」は結構賑わっていたので
少々不安になりつつ。。

前菜もパスタもお肉もデザート&ドリンクもついて
ビックリする良心的なお値段だったので
お連れ様2人がとても喜んでくださいました。
良かった~。

あんまり楽しかったので、ご家庭(お子様あり)のある
お連れ様共々時間を忘れ、ついつい長居してしまいました(><)
次は夏の帰省の時に♪と約束して家路につきました。



このお店の奥はガラス張りになっていて、かつて私が勤務していた
梅田スカイビルが真正面に見えました。
建築技術も進み、スカイビルも今となっては最先端のビルではないけれど
2棟のビルが最上部で連結しているこの建物は
今もなお、目を引く何かがあるなぁと感じました。
このスカイビルの建築に携わった方々が、この建物に誇りを持っていて
とても熱く語ってくださったことを懐かしく思い出されました。

実は、旦那クンもスカイビルにある企業に席をいただき
毎週水曜日に通ってたんですよね。
旦那クンと私が婚姻届を出した日も、スカイビルに行った
帰りでした。

旦那クンにも私にもご縁のあったスカイビル。
この日は甘酸っぱいような、懐かしいような・・・
そんなちょっぴり複雑な思いで眺めていました。



初出勤

年末年始の休暇も終わり、初出勤してきました。
もう電車もいつもどおりの混み具合・・。
JRだけでも1時間以上かかる通勤。。
なまった体にはこたえるぅぅ。。
会社に到着するころには、寒さも手伝ってげんなり。

そんな気分とは裏腹に、会社は休暇明けとは思えないような
雰囲気に戸惑いを覚えつつ。。。
脳みそは結局お休みボケしたまま1日が終わりました。。
来月初めにはまた会議があるので、
明日から気を引き締めていかないと。。

でも、みんな元気に出社していたので良かったです。
明日も精神的に穏やかに仕事できることを祈りつつ。。
さ、ねよっと。

哀愁

今日は年末年始休暇の最終日。

そういや、すごーく大したことじゃないけど
年始年末って言うたびに、年末年始だって訂正されたことあったな(笑)
今となっては懐かしい。

そんなこんなでまったりと最後の休日を過ごしているのだけれど
あとわずか・・と思うとほんと寂しい。。
けど、今日から働いている人も多いし、
父も今日から出勤してるし。。
腹をくくるべ(笑)

そういえば・・
旦那クンのことがあってから、自分から1度も出さなかった年賀状。
今年は、去年送ってくださった友達には事前に出しました。
(といっても大みそかの夕刻。。)
けど、こんな私に今年も届いた年賀状。
年々少なくはなってきているけれど、なんだか今年は嬉しかったです。
大切にしないといけない人だと感じました。

来年は、出してみようかな・・・
そんな風に思えたのは一つ前進なのかもしれません。
旦那クン、今年も頑張ろうね。

今年初めての外出

バーゲンに行く予定はなかったのだけれど
行きたげな母と、それに追い打ちをかけた父に促され?!
母と三宮に繰り出しました。
年末は遅い時間だったため断念した神戸ランチ♪
じゃ、今度は!!と色々調べてたんだけれど
あまりの人の多さに断念。
元町の駅に降り立った時点で予感はしてたんですけど
不況を感じさせないデパートの人の入りに、早くも尻込み・・。

意外と家族連れやカップルが目につかなかったので楽しめました。
それとも、見慣れてきたのかなぁ。。
大丸で通勤用のスカートとセーターを購入して
信号を渡ると、三宮神社がありました。
初詣も行っていなかった母と私は、どちらからともなく神社へ。
ほんとに小さい神社で、参拝する人もちらほらだったけど
並ばなくてよかった♪

今年のお願い事は、「両親の健康!!!」
やっぱりこれにつきますね。。
最近、母の脈拍数が(特に朝の)高くて心配です(><)

今年も少しずつ親孝行したいなぁ。

帰宅して戦利品を広げたら・・・
戦利品が足りなかった!!あれっ?
お店に確かめたら、間違っていたことには気づいていたそうで
私の戦利品の一部は別の方に封入されたそう。
私が購入したものと同じものはもうないとのことで
返金してくださることになりました~♪
私は返金してもらえるからいいんだけど
私がセレクトしたものを入れられた人はお気の毒・・

旦那クンには何も買ってあげなかったなぁ。。
母と紳士服売場に行った時は、ちょっぴり母が羨ましかった、
そんな年明けショッピングでした。



今年の願い~思いよ 届け~

人ごみに身を投じる気持ちにもなれず、
昨日までのせわしなさから一転、静かな午後になりました。

こんな日は旦那クンと静かにすごしたら?という
神様のはからいかもしれません。
旦那クンの生きた証を残したい。。
絶望から少しずつ前に進む足跡が何かのお役に立てたら。。。
そんな思いで始めたこのブログ。

今日、元旦は、主治医にあてた手紙で幕開けしたいと思います。

『拝啓 師走に入り、一段と寒くなってまいりました。
 大変ご無沙汰しておりますが、如何お過ごしでしょうか

主人が天国に旅立ってから、3度目の冬を迎えようとしております。
主人が目に見えない日常も当たり前になってきたことに、
時の流れを感じます。
時の流れは何事も解決してくれるとは言いますが、最愛の主人に
関しては、時も簡単には解決してはくれないように思います。

突然旅立ってしまったあの時の衝撃こそございませんが、
2年9ヵ月経った今も、主人を思わない時はなく、
主人への思いや無念さ、主人のいない寂しさや不安は薄れることなく
主人の存在の大きさを実感する毎日です。


さて、この度、濱田様に手紙を書かせていただいたのは、
主人の様子をどうしてもお聞かせいただきたかったからです。
貴方が主人のことは関係がなく、話したくないとおっしゃっている
ことを知りながら、敢えてお願いする理由(経緯)をお話させて
いただこうと思います。

病院に説明を求めたきっかけは、「現代の医学でも、本当に
主人は助からなかったのだろうか」と思ったことでした。
もし、主人が正しい判断と最善の治療を受けても
(最善の治療を施そうという気持ちに接しても)助からなかった
のなら、これも主人の運命と思えたでしょう。

しかし、主人の場合、そう思うことができませんでした。
(そう思えば思うほど、主人の死を)受け入れられずに
苦しみましたが、それなら、せめて、主人の最期の様子が
知りたいと思うようになりました。

当時、私には急性心筋梗塞という病気の症状や治療方法などの
知識が全くなかったので、それを知ることから始めました。
主人のことが知りたい一心でした。
いただける資料はなんでも取り寄せ、お話をきかせていただける
とあれば、そこへ足を運びました。
精神的に苦痛を伴うこともありましたが、いただいたカルテや
データの数々、聞かせていただいたお話は、私にとって
大切な宝物となりました。

そして今、私は“主人が助かる可能性はあった"と信じています。

しかし、どんなに悔やんでも、どんなに嘆いても・・・
そして、どんなに主人の帰りを望んでも、主人は帰ってはこなかった。
どんなに努力しても叶わない、切ない望みとなりました。


物静かな主人があれほど訴えた痛みはどなんなものだったのだろうか。
いつまで意識があり、痛みを感じていたのだろうか。
そして薄れゆく意識の中で、私のことを一瞬でも思い出して
くれただろうか・・・。

どんなに無念だっただろう・・
そう思えば思うほど、胸が張り裂けそうになりました。


そんな中、かねてから希望しておりました、○○医師と□□様
(病院関係者)にお会いすることができました。
お二人から聞かせていただいた誠意あるお話は、主人の生きた証
として、私の心に刻まれ、大切な宝物の一つとなりました。
今はお二人の誠意と勇気に感謝しています。


先日、病因を通して、濱田様にとって主人のことは
「今更のことであり、話す予定はない」というお考えだと
伺いました。しかし、私ども遺族にとっては、今までも
そして、これからも続く悲しみであり、過去のものではありません。

人の痛みを和らげ、人の命を救う。
そんな尊い職業に就かれ、院長の地位まで就いた濱田様が
そのようにおっしゃることは非常に残念でなりません。

たった一つの命ではありますが、その命が失われるということは
本人にとっても遺された者にとっても、本当に本当に
大きなことです。

急変してから治療にあたったとはいえ、濱田様は主人の主治医であり
当時の病院長です。また、主人の最期の様子を知るのは、貴方しか
いないのです。主人の最期の様子や症状について、可能な限りで
結構ですので、お聞かせいただきたいと願っています。

人として、医師として、貴方を信じさせてください。
これは妻としての願いでもあるのです。』


開業した元院長の、クリニックの案内です。
この言葉が本物なら、彼の人としての心、医師としてのプライドを
信じたいと願っています。


人工透析でお悩みの方、内科・循環器に関することなら
どなたでもご相談いただけるアットホームな雰囲気です。
患者さんを大切にすることをモットーとしたクリニックとして、
平成21年11月2日(月)に開院いたしました。
勤務医として循環器内科・糖尿病・人工透析医療に従事し、
急性・慢性疾患の診療を経験してきました。
診療を通じて「患者さんの不安・心配の解消」が治療と同様に
大切と考えています。
自分の知識・技術を活かして地域医療に貢献し、皆さまに愛され
親しまれるクリニックを目指していきたいと思います。

院長 医学博士 濱田 信一
プロフィール

月乃ぴょんこ

Author:月乃ぴょんこ
旦那クンと私の人生を奪った
急性心筋梗塞と病院。
悔しいけれど
辛いことばかりじゃなかったね。
君に沢山のことを教えてもらったよ。

-いつか大好きな旦那クンに
会える日まで‥
その日を楽しみにしてる。
素敵な奥さんでいられるように-

色んな気持ちの足跡を残していこうと思います。

最新コメント
最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
さくら咲く
HeroRisa
HeroRisa

GIFアニメ
GIFアニメ
カレンダー
12 | 2010/01 | 02
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
リンク
RSSリンクの表示
World-Word-翻訳
英語English
韓国語 한국어
中国語 中文
フランス語 Franc,ais
ドイツ語 Deutsch
イタリア語L'italiano
スペイン語 Espan~ol
ポルトガル語 Portugue^s
Present's by サンエタ
QRコード
QRコード
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。